便利な世の中だからこそ身体を大事にしたい

こんにちは、mioです。

 

ここ2年程、大好きなおじいちゃんおばあちゃんに会いによく実家岡山の田舎に帰っています。

 

↓91歳のおじいちゃんと私の息子が0歳だった時の写真です^^

おじいちゃんの家は築100年以上の昔ながらの日本家屋です。

 

一部リフォームはしていますが、段差は多いし、ふすまや引き戸はスムーズに動かず開け閉めにコツがいる箇所も。

 

私が現在住んでいる家は最近建てたものなので、バリアフリーですし、引き戸を勢いよく閉めてもストッパーが勝手に反応してフワッとゆっくりと閉まってくれます。水道の蛇口を強くひねっても、水が飛び散りにくい仕様になっています。

 

そんな私がおじいちゃんの家にいくと、引き戸をガシャン!!!と音を立てて閉めてしまうこともあるし、蛇口も勢いよくひねってしまい水がジャーーー!!っと飛び散ることも。先日そのことに気づきました。

 

きっと便利なものに慣れていて、繊細にモノを扱うことを忘れているんだと思いました。

 

繊細にモノを扱うには細やかな筋肉を使い、絶妙な力加減がいります。

 

決して便利=悪という意味ではありません。

 

誰かが不便に気づき、大切な人を想いその不便をなんとかしたいと思ってくれたからこそ、文明は発展してきたはずです。

 

しかし、私は無意識にその便利さに慣れていろんな力を失っているかもと思いました。

 

便利になり過ぎて、筋力や身体感覚を失っている。

 

だからこそ、この現代に生きる中で意識して体感する力をつける必要があると感じています。

 

でないと人間はSF映画『ターミネーター』や『マトリックス』のように自分達が発達させた文明によって殺されてしまうかも?と思います。

(余談ですが12月公開の映画『マトリックス』最新作を楽しみにしています!映画好きなので♡最近、前作を観直し中です。難しくてなかなか理解できませんが。)

 

大げさかもしれませんが

体感力を失うと、感受性も失われていくように感じています。

感受性が失われると、ぱさぱさな心になり、争いが増えたり何でもありな乱暴な世の中になる。

 

話が飛躍しすぎだ!と思われるかもしれませんが。産まれた時から便利なものに囲まれている子供達はもっと影響を受けるかもしれません。

 

先日の養老孟司先生の講演会で「子供に物を与えすぎていないか」「与えない親切もある」というお話もされており印象に残っています。少し繋がるような気がして今日は書きました

最後までお読みいただき有難うございました!

mio

このページをシェアする